石の表現力と品質のこだわり
受け継がれる石職人の技術と、品質管理。そして表現力が山野石材のこだわりです。
- 長い年月を見据えてのご提案 石の変化や納骨のことまで考えた提案等、分かりやすくご説明します。
- 心を込めたお墓づくり 全工程を機械づくりにせず、必ずその一部を心を込めて手作りにしています。
- 誇りを持った信頼のある仕事への取り組み 過去から現在、未来へと続くお墓。ずっと守っていく気持ちでサポートします。
ご先祖様が残された数々の実績が社の誇り。それを継承し、後世に増やせるよう社員一同、精進していきたい。
まず、私たちの想いとしてお伝えしたい事は、一つ一つの造形物には、職人さんや関わった人たちの血と汗のすさまじい努力があったことを決して忘れてはいけないということです。
石工はその時代時代で歴史を創出してきました。
例えば石器で物を創り出し、また武器にも使用していました。時代が進んで中世になっても城や石垣や道や石段、庭づくりに、その時代に活躍して今日もその石は文化財などとして残っています。近代では宗教的な建造物や顕彰碑や、橋梁など都市造りに一役かっています。
私自身、子供の頃から職人の技を見てきました。石工の道具にもまた一人一人の職人の技があり、職人たちが歳をとるとその技を文字彫刻に生かして、60代70代と技術は死ぬまで生かされます。今まで幾度も職人の方々との出会いがありましたが、いずれも現在ではとても見ることができない芸術的な腕を何十人と見てこられた事を誇りに思います。
我が社の歴史の始まりは、江戸時代に始まったと聞いています。
江戸から明治、大正、昭和、平成と移りましたが、石工が一番光り輝いたのは明治の中期、大正時代、昭和のはじめだと考えています。その意味は、明治の始め、西洋文化の影響で建物は石造りが一番多くなり、石の需要が多くなり、石工になる人間が増えたものと思われます。
明治、大正の時代、家が建てば、その家の基礎はすべて石が基礎がわりに使われていました。江戸時代以前はほとんど一般人は今日のような石塔は建てませんでしたが、戦争の為大きく変わりました。
戦没者の碑や石碑が多く建てられるようになったのです。私が知る限りでも福岡県、佐賀県、長崎県、大分県まで戦没者の碑(忠魂碑)を建てに行ったことを覚えています。
私の体験談を申し上げますと、小学生の頃、当時は今のように大きな自動車も少なく、またクレーンのような機械はありませんでしたので、小運搬・建て方は全て人力でした。
我々は10t~20tクラスの石を扱っていましたから、大変だったと思います。映画で観たエジプトのピラミッドの石運搬、積み上げ、ほとんどあれに近い状態だったと今でもはっきり記憶しています。
当時の事を思い出すと、よく死人、けが人がでなかったものだと思っています。
よく考えてみますとそこには石工、仲仕の絶妙の信頼関係と深い絆があったのではと思います。いつ事故があってもおかしくない事に遭遇しましたが、人身事故にはなりませんでした。それは運がよかったとだけではかたづけられない、石工、仲仕の多くの人と人との信頼によるものだと私は思っています。なぜなら石を組み立てるには多くの人の力と技が必要です。その一人一人の誰が欠けてもだめなのです。
そうやって積み上げてきた技術と信頼関係こそ、我が社の誇りであり、後世に受け継ぐべきものだと私は思っております。


